アヴリル・ラヴィーンが難病を乗り越え来日!行列で壁破りドッキリに挑戦!

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世界の歌姫アヴリル・ラヴィーンさんが難病を乗り越え、2014年以来5年ぶりに来日しました。そして5月5日放送の「行列のできる法律相談所」に出演し、壁破りドッキリを仕掛けました!アヴリル・ラヴィーンさんが闘病していたことすら知らなかった筆者が調べてみました。

アヴリル・ラヴィーンのプロフィール

出典 Instagram @avrillavigne
  • 名前:アヴリル・ラモーナ・ラヴィーン(Avril Ramona Lavigne)
  • 生年月日:1984年9月27日
  • 出身地:カナダ オンタリオ州
  • 職業:シンガーソングライター
  • 担当楽器:ボーカル・ギター・ピアノ・ベース・ドラム
  • 所属事務所:アリスタ・RCA・エピック・ソニーミュージック

アヴリル・ラヴィーンのキャリア

『Let Go』 (2002-2003)
ファーストアルバム『Let Go』は2002年6月4日にアメリカで初版を発売。アメリカで2位、イギリス・オーストラリア・カナダでは1位を獲得。ソロシンガーとしてイギリスのアルバムチャート1位に最年少の17歳でランクインした。アルバムはポップ・ロックをベースとしながらオルタナティヴ・ロックやポスト・グランジなどの要素が取り入れられた作品となった。
発売から1か月経ち、8月末には複数のプラチナディスク候補となり、その2週間後には3つのプラチナを授与されている。2002年末にはデビューからわずか半年でRIAAより4つのプラチナを獲得するに至った。 同アルバムはアメリカ国内で660万枚、全世界で2000万枚を売り上げている。
このアルバムからは4曲がシングルカットされ、「Complicated」はアメリカのBillboard Hot 100で2位、オーストラリアで1位を獲得。2002年の「最も売れたカナダの曲」に選ばれた。同曲がContemporary Hit Radioのチャートで11週にわたり1位を独占する中、ラヴィーンはナタリー・インブルーリアの『Torn』のレコーディングにも挑戦していた。「Sk8er Boi」はアメリカ・オーストラリアでトップ10入り、「I’m With You」はアメリカ・イギリスでトップ10入りを果たした。「Losing Grip」は台湾とチリなど欧州・北米エリア外でもトップ20に食い込んだ。
2002年、このアルバムの功績が認められMTV Video Music AwardsのBest New Artistに選出され、2003年には他の5人のノミネートを打ち負かしジュノー賞を受賞。ワールド・ミュージック・アワードで「World’s Best-Selling Canadian Singer」(カナダ人歌手最大のヒットメーカー)を授かり、グラミー賞では『Complicated』が “Song for the Year”、自身が “Best New Artist” など全8部門にノミネートした。


『Under My Skin』 (2004-2006)
セカンドアルバム『Under My Skin』は2004年5月25日アメリカでリリースされた。このアルバムはアメリカ・イギリス・ドイツ・オーストラリア・カナダ・メキシコ・アルゼンチン・スペイン・アイルランド・タイ・韓国・香港、そして日本の計13カ国で1位を獲得し、アメリカでは第1週目に38万枚を売り上げ、総合で800万枚を売上げた。
このアルバムの大半をカナダ人女性シンガーのシャンタール・クレヴィアジックと制作し、他にも元エヴァネッセンスのギタリスト、ベン・ムーディー、Marvellous 3のブッチ・ウォーカー、ラヴィーンの元バックギタリスト、エヴァン・タウベンフェルド、元ドラマーのマット・ブラン、クレヴィアゼックの夫でOur Lady Peaceのリーダー、レイン・マイダ、プロデューサーとしてドン・ギルモアが参加した。前作に比べ「He Wasn’t」「I Always Get What I want」などの曲調はオルタナティヴ・ロック色を濃くし、「Freak Out」や「Who Knows」ではソフトなポスト・グランジとして聞かせた。
シングルカットされた「Don’t Tell Me」はアルゼンチン・メキシコで1位、イギリス・カナダで5位、ブラジル・オーストラリアでトップ10入り、「My Happy Ending」はメキシコで1位、アメリカでトップ10入りとなり彼女のシングルで3番目に最も売れた曲となった。しかし3枚目のシングルカット「Nobody’s Home」はアルゼンチンとメキシコで1位になったが、アメリカではトップ40にすら入らなかった。この売上不振が響いたのか4枚目のカット「He Wasn’t」はイギリス・オーストラリアでのランクはトップ40、アメリカではリリースすらされなかった。最後のシングルカット「Fall to Pieces」は前作にもましてランクで健闘しなかった。
2004年、ラヴィーンはワールド・ミュージック・アワードにて “World’s Best Pop/Rock Artist” と “World’s Best-Selling Canadian Singer” を受賞。ジュノー賞には5部門でノミネート。”Fan Choice Award” “Artist of the Year” “Pop Album of the Year”の3部門を受賞した。19周年目を迎えたキッズ・チョイス・アワードには “Favorit Female Singer”(最も好きな女性歌手)に選出された。
ラヴィーンはカナダ人プロデューサーマシュー・ガードと共にケリー・クラークソンの「Breakaway」を共作し、同曲は映画『プリティ・プリンセス2/ロイヤル・ウェディング』のサウンドトラックに収録された他、クラークソンの2枚目のアルバムにも入り同アルバムからのシングルカット第1作目となった。同曲はアメリカチャートでトップ10入りしクラークソンの出世作になった。
2004年 “Live and By Surprise” を決行。3月4日ミネソタ州ミネアポリスより『Under My Skin』のプロモーションを兼ね21箇所のシティーモールツアーをアメリカとカナダで行った。パフォーマンスはアコースティックベースの短時間のライブで、上記アルバム中心に選曲が行われた。ライブは開始の48時間前まで誰にも知らされないシークレットライブの形態をとっていたが、同ツアーは非常にポピュラーな存在となりアルバムのプロモーションに一躍買うこととなった。2004年3月25日のインディアナポリスのセットでは「He Wasn’t」「My Happy Ending」「Don’t Tell Me」「Take Me Away」「Nobody’s Home」「Sk8er Boi」「Complicated」などが披露された。これらのライブパフォーマンスは『Avril Lavigne Live Acoustic』としてアメリカのディスカウントストア「ターゲット」で発売された。
2005年は通年、主にツアーを行い、モデルや女優業などにも従事した。また同年6月28日にはカナダのロックバンドSum 41のボーカルデリック・ウィブリーと20歳で婚約を発表。2006年7月15日、ロサンゼルス郊外、サンタバーバラ東隣のモンテチトで挙式。
2006年のトリノオリンピック閉会式ではカナダ代表として登場し、2010年のバンクーバーオリンピックへの引継ぎイベント8分間に『Who Knows』を歌った。


『The Best Damn Thing』 (2006-2010)
3枚目のアルバム『The Best Damn Thing』は2007年4月17日にリリースされアメリカで1位を記録した。同アルバムはドクター・ルーク、ロブ・カヴァロ、ブッチ・ウォーカーと彼女の夫がプロデューサーを務めた他、ブリンク 182のドラマー、トラヴィス・バーカーがドラマーとして参加している。またジャケットやブックレットの写真も、デリックが撮影したという。
2008年10月 北京公演
最初のシングルカットは「Girlfriend」で、全米のシングルチャートBillboard Hot 100では初めて1位を獲得した。ライアン・シークレストのラジオで2枚目は「When You’re Gone」と発表。3枚目は「Hot」、最後は「The Best Damn Thing」となった。
「Girlfriend」は日本テレビ制作のバラエティ番組『カートゥンKAT-TUN』のオープニングテーマとなり、2007年5月2日に同番組にゲスト出演し、KAT-TUNと共にダーツを行った。
2007年当初、アルバムに関してのプロモーション規模は非常に小さく、ライブチケットも彼女のファンクラブ会員限定となった[24]。ツアーはアルバータ州カルガリーよりスタートし、200人規模の聴衆の前でパフォーマンスを行った。この模様は2007年4月2日にCBC系列で放送された。4月にはプロモーションで来日。Yahoo!の独占生中継ライヴや『ミュージックステーション』、『Music Lovers』などに出演。新宿駅前で極秘コンサートを開催し、4000人もの観客が集まった。8月にはSUMMER SONICに出場のため再び来日。『めざましテレビ』などの番組に出演した。
2008年3月には世界ツアーをスタート、北米・欧州・アジアを回った。8月には29日開催予定だったマレーシア公演が公演禁止になったと大々的に報じられた。最終的に22日に開催を承諾されたとMTVが報じた。
2008年10月時点での同アルバムのセールスは全世界で540万枚。
2010年のバンクーバーオリンピックにおいても、前回冬季の2006年トリノオリンピックに引き続いて閉会式に登場、地元カナダの歌手として、「My Happy Ending」と「Girlfriend」を歌った。冬期オリンピック2大会連続閉会式で歌った初の歌手となる。


『Goodbye Lullaby』 (2011-2012)
ブラックスターツアー(2011年5月)
2010年公開の映画『アリス・イン・ワンダーランド』の主題歌として「Alice」を作詞・作曲。同映画のためのミュージック・ビデオも撮影した。
4枚目のアルバム『Goodbye Lullaby』は日本で2011年3月2日にリリースされた(世界最速・日本先行発売)。同アルバムでは前作までのプロデューサー(ブッチ・ウォーカー、デリック・ウィブリー等)に加え、先行シングル「What The Hell」ではマックス・マーティンがプロデュースを行っている。また、ラヴィーン自身のプロデュースによる楽曲も収録された。2作目のシングルカットは「Smile」、3作目は「Wish You Were Here」である。なお、「What The Hell」リリース前の2010年12月には「Dancing Crazy」をミランダ・コスグローヴに提供している。
先行シングル「What The Hell」のプロモーションのため、2011年1月に来日。『ミュージックステーション』に出演し、「What The Hell」を披露した。また『めざましテレビ』にも出演し、渋谷109で買い物を楽しむ姿が放送された。3月にはアルバム『Goodbye Lullaby』のプロモーションのため再来日。3月1日には赤坂BLITZにて完全招待制、一夜限りの必勝パワーアップライヴに出演。5曲を披露した。TV番組は『スッキリ!!』や『笑っていいとも!』、『ミュージックステーション』に出演した。
2011年4月にはワールドツアーをスタート。中国・北京よりスタートし、北米・欧州・アジアでのツアーを行った。福島原発事故の影響か、日本での公演はすべて2012年2月へ延期となった。だが2011年8月にはサマーソニック2011へ出演する為再来日した。めざましテレビに生出演し「Smile」を披露し、8月16日にはめざましライヴにも出演した。
2011年、日テレ系番組『ザ!世界仰天ニュース』のエンディング・テーマに「What The Hell」が起用された。11月5日には、深夜にデート中に酔っ払いに襲われ顔に怪我を負った。
同年11月、RCAとのレーベル契約を解除し、エピック・レコードに移籍する。原因は、『Goodbye Lullaby』を制作中にRCA側との対立があったためである[27]。
2012年2月、延期となっていたツアー「The Black Star Tour 2012」を4都市(埼玉、名古屋、博多、大阪)で行う。
2012年12月、日本のアニメーション映画「ONE PIECE FILM Z」へ、ニッケルバックの「How You Remind Me」のカバーと、2008年にカバーした「Bad Reputation」(ジョーン・ジェットのカバー)をW主題歌として提供。いずれも5枚目のアルバム『Avril Lavigne』にボーナストラックとして収録されている。


『Avril Lavigne』 (2013-2017)
2013年4月に「Here’s To Never Growing Up」を先行シングルとしてリリース。8月には「Rock n Roll」を2作目の先行シングルとしてリリース。10月には当時の夫チャド・クルーガーとのデュエット曲「Let Me Go」をリリースした。
2013年11月1日(日本では6日)、5枚目のアルバムにして、初のセルフタイトルアルバムとなる『Avril Lavigne』が発売された。同アルバムはチャド・クルーガーがプロデューサーとして多くの曲に携わっている。
2014年2月には「Give You What You Like」のミュージックビデオを公開した(シングルのリリースはない)。4月には「Hello Kitty」のミュージックビデオを公開。後者は東京で撮影されたが、事情を知らないメディアから「人種差別的」と批判を浴びることとなった。なお、「Hello Kitty」は5月にシングルとしてリリースされている。
2014年から2015年にかけ長期にわたって公の場に姿を現していなかったが、ライム病を患って5か月にわたり寝たきり状態になっていたことを公表した。2015年4月、単発シングル「Fly」をリリース。同作は同年7月にロサンゼルスで開催されたスペシャルオリンピックスのチャリティとしてリリースされたものである。
ラヴィーンは2017年1月にリリースされたONE OK ROCKのアルバム『Ambitions』に収録されている「Listen」に客演参加している。


『Head Above Water』 (2018- )
2018年9月、アルバム『ヘッド・アバーヴ・ウォーター』のタイトルナンバーとなる先行シングル「ヘッド・アバーヴ・ウォーター」を発表した。2019年2月にはニッキー・ミナージュをフィーチャーした「ダム・ブロンド」を発表。同年2月15日にアルバム『ヘッド・アバーヴ・ウォーター』がリリースされた。3月下旬には約5年ぶりに来日した。
また、2019年3月にアブダビで開催されたスペシャルオリンピックスの開会式で、大会の公式テーマソング「Right Where I’m Supposed To Be」(ライアン・テダーとの共演)を披露した。

出典 wikipedia

アヴリル・ラヴィーンを苦しめた難病とは?

アヴリル・ラヴィーンさんは、2014年10月に自身の30歳の誕生日を友人たちと祝っていた際、食事が喉を通らなくなり、その場から離れベッドで横になったそうです。友人が心配して声をかけてくれたそうですが、アヴリル・ラヴィーンさん自身も身に覚えがなかったそうです。その後、重度のライム病と診断されました。診断される数ヶ月前から体調不良は続いていたそうです。

ライム病とはどんな病気なのか

ライム病は、野生のマダニ科マダニ属のダニによって媒介される人獣共通の細菌(スピロヘータ)による感染症です。1970年代以降、アメリカ北東部を中心に流行が続いており、マダニ刺咬後に見られる関節炎、および遊走性皮膚紅斑、良性リンパ球腫、慢性萎縮性肢端皮膚炎、髄膜炎、心筋炎などが主な症状です。日本での感染報告も挙がっています。

アヴリル・ラヴィーンの元夫もミュージシャン

アヴリル・ラヴィーンさんの最初の夫であるカナダのバンド「Sum 41」のリードヴォーカル兼ギターリスト、デリック・ウィブリーさんとは2004年2月より交際が始まり、2005年6月に婚約しました。若くして結婚したことについては「たまたま早い時期に出会っただけ」と述べ「幸せ。結婚はオススメ」と言っていましたが、2009年9月に「和解し難い不和」を理由にデリック・ウィブリーさんと別居中であることを発表し、2010年11月に正式に離婚が成立しました。

二人目の夫である「ニッケルバック」のチャド・クルーガーさんとは2012年2月から交際し、8月8日に婚約しました。2013年7月1日に南フランスにて式を挙げました。しかし、2015年9月に離婚を発表しました。

ONE OK ROCKのRyotaが妹ミシェルと結婚

日本国内だけでなく、世界で活躍するバンド「ONE OK ROCK」のベーシストRyotaさんとアヴリル・ラヴィーンさんの妹ミシェルさんが2017年に結婚し、アヴリル・ラヴィーンさんはRyotaさんの義姉となりました。ONE OK ROCKとは以前から親交があり、アヴリル・ラヴィーンさんも2人を祝福しました。

行列のできる法律相談所では壁破りドッキリに挑戦!

そんなアヴリル・ラヴィーンさんがニューアルバム「ヘッド・アバーヴ・ウォーター」を引っ提げ、行列のできる法律相談所に出演します。番組内では壁破りドッキリに挑戦するアヴリル・ラヴィーンさんの貴重な姿がみられるでしょう。また、ドッキリを仕掛ける相手は、アヴリル・ラヴィーンさんの大ファンとしても知られる、元NMB48の山本彩さんです。どんなリアクションを取ってくれるのか!?2人はどんなやり取りをするのか!?注目です。

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